夢のかなたに9

【ルポ 羽生結弦 夢のかなたに (9)】 GPファイナルリポート(下)
――覚悟の末の言葉
2012年12月28日

 「優勝できるかどうかは、もう二の次です。とにかくショートのこの悔しい状態から、どれだけフリーで、自分を引っ張りあげられるか? ショートが苦手な自分にとっては、今までずっとやってきたことです。だから、楽しんで試合できると思う」

 そんな頼もしい発言とともに臨んだ、翌日のフリー。「楽しんでできる」という本人だけでなく、見ているこちらも大いに楽しめる試合展開だった。

 まず、トロントでのトレーニングメイト、ハビエル・フェルナンデス(スペイン、SP5位)が、フリーで3度の4回転を成功させ、圧倒的な技術点を奪取(95.93点。今季グランプリシリーズでの最高点。次点はフェルナンデス自身がスケートカナダで出した85.15)。一気に試合の行方を、面白くしてくれる。

 さあ大変、ショートで7点差をつけているとはいえ、しっかり跳ばなければ厳しい状況になった。スケートアメリカのような演技では、パトリック・チャンや高橋大輔に追いつくどころか、ハビエルにも勝てないぞ……。

 そんな空気の中でまず彼が跳んだのは、素晴らしい高さの4回転トウループ! このジャンプは、今大会全カテゴリーの全試合で採点された全てのエレメンツの中で最高となった、GOE(出来栄え点)+2.71を叩きだす。9人中6人のジャッジが+3、3人のジャッジが+2をつけるほど、素晴らしい軽やかさと高さだったのだ。ジャンプで+2.71――この数字は、11月のロシア杯でパトリック・チャンの4回転が獲得した+2.71に並ぶ、驚異的な高さだ。

 「あのひょろひょろの身体で、なぜあんなジャンプが跳べるんだ!」

 そんな声も上がったが、「もう自分の中で確立されている」羽生結弦の4回転トウループは、ほとんど力を使っていない。むしろテイクオフの瞬間、余計な力が入りがちな肩の力をごく自然にふっと抜いてから跳び上がっている。この4回転を見て、4年前、彼が初めてトリプルアクセルを手中にしたころの言葉を思い出した。


羽生結弦のフリーの演技
 「トリプルアクセルは、真央ちゃんのアクセルを見てたら、何となくコツをつかんだんです。『あれ、力ってそんなにいらないんだなあ』って」

 そんな「気づき」の積み重ねを、彼はいくつもいくつも繰り返してきた。様々な選手から、様々な場面で跳躍のコツを盗み、今日のこの4回転を手に入れたのだろう。

 その後の4回転サルコウが2回転になったのは残念だったが、そこから先はほぼノーミス。トリプルは得点の高いアクセル2回、ルッツ2回、コンビネーションジャンプも制限回数いっぱいまで跳び、余裕のあるダブルトウループのコンビネーションでは両手を上げるなど、隙のない点数の取り方で、見事にフリー2位。ショートで差をつけられた高橋大輔には及ばなかったものの、初めて現世界王者のパトリック・チャンの上を行くという、十分すぎるほどの成績を残してくれた。

 「パトリックに勝った? 本音を言えば……実感がわかないです。2位ですから、勝った気なんてしないですよ!」

 前2戦に比べれば、残念だったショートプログラム。

 本人の不満はさておき、十分すぎるほど高評価を得たフリープログラム。

 対照的な2日間だったように見えるが、実は見方を変えれば、ショートとフリーでよく似た形の成長を、羽生結弦は見せていた。
 ショートに続きフリーの「ノートルダム・ド・パリ」でも、彼は至極落ち着いていたのだ。4分半の演技全体をコントロールすることで、これまでの迸(ほとばし)る情熱とはまた違う、音楽と調和した深い味わいを見せることに成功していた。

 サルコウが2回転になった直後の円を描くステップは、気迫を表しつつも強い気持ちをこちらに押し付けることなく、じっくりと技巧を見せつけるようなステップ。その後のスローパートも、呼吸を整えつつ、きっちり動きに緩急をつけて見せ、休んでいることを感じさせない。

 ドラマチックな振り付けはとことんドラマチックに、強さを見せるところでは目いっぱい強さを見せ、かと思えばゆったりとしたイナバウアーで、見る者にほっと息をつかせもする。音楽を感じて、思いをじっくり動きにこめ、動きつつ、また音楽を感じて――壮大な、うまく乗りこなさなければ飲み込まれてしまう音楽の中で、この日の彼は落ち着いて、自分自身を見ていた。時には立ち止まって、観衆を見渡す余裕さえあった。いつもの120%のフリー、最後には必ずばててしまうフリーではなく、美しいコントロールが行きとどいた滑り。

 これは、確実なワンステップアップだ。若々しいニューカマーとして人々を熱狂させた世界選手権の演技とは違う。既によく知られているトップ選手として、いい演技を期待される存在として、十分人々を納得させる滑り。観客は立ちあがり、18歳になったばかりの彼の演技を讃えたが、同時にこれが彼の最高ではない、とも感じただろう。

 この夜のパフォーマンスが不満なのではない。まだシーズン中盤、これが彼のピークではない、きっと後半の山場で、もっといい演技を見せてくれるだろう――そんな期待ができる、グランプリファイナルで見せるべき「ノートルダム・ド・パリ」だったのだ。

 しかしこの「緩やかな完成度」を見せられた理由が、ジャンプの失敗だというのだから面白い。

 「演技が終わった瞬間――僕、いつもみたいに疲れて、膝に手をついていなかったですよね? たぶん、いつもよりも落ち着いて滑ったんだと思います。ひとつには、スケートアメリカ、NHK杯と経てきて、ある程度自信がついたから。ファイナルの前の練習でも、ブライアンに作ってもらったプランどおりしっかり滑って、ほとんどのジャンプを練習から決めてきてた。その自信は、今回の試合でちゃんと出せたような気がします。

 でも、落ち着いて滑った一番の理由は……4回転サルコウの失敗! それも、ちゃんと回転してから転ぶんじゃなくて、2回転になってしまったパンクです。練習でも、サルコウだけはずっと調子が悪かったからしょうがない。でも後半のジャンプでは全部の力を出し切れたからこそ、サルコウが悔しいです!」

 2発目のジャンプで失敗した悔しさが、かえって気持ちを冷静にしていた。プラス、今回は最後までスタミナを持たせるため、フリーでは複雑なステップを端々ではしょって滑ったことも、演技に余裕が出た理由のひとつだろう。試合終了後の共同取材では、「NHK杯から短い時間で、ずいぶん体力がついたように見えるが?」という質問も飛んだほどだ。

 体力面と演技での、自己制御力。この大きな舞台で長いフリープログラムをコントロールできたことは、今後の彼にとって大きな武器になるだろう。あらゆる意味で「役者」でなければならない、フィギュアスケーター。観客に見せることだけを考えていればいいアイスショーとは違い、ジャンプのことだけを考え、必死で動き続けなければならない競技会での演技。

 そこで、どんなに緊張して自分を失っても、身体が勝手に体力をコントロールし、身体が勝手に「魅せる演技」をしてしまう余裕。そんなものを、大舞台を重ねながら、羽生結弦は身につけているところだ。

 さて、羽生結弦劇場。バレエや演劇ならば舞台の上で幕を閉じるところだが、競技のフィギュアスケートでは、氷を降りた後もストーリーは続いていく。

 グランプリファイナルは、世界選手権メダリストとなってから初めて迎えた、トップレベルの国際大会。大会期間を通して、彼の発言は何度も我々に話題を提供してくれた。

 たとえば、ショートプログラム終了後。高橋大輔、パトリック・チャンに続く3位で、トップとの点差は5点という位置につけた記者会見にて。

 「まだまだショートプログラムですし、この点差は、NHK杯の大輔さんに比べれば(トップの羽生結弦と8点差)すごく楽な心境になります」

 先輩・高橋大輔への挑発ともとれる大胆な発言に、日本の取材陣の間には小さくないどよめきが起こった。その反応の大きさにロシア人司会者が、「ユヅルはいったい何を言ったんだ? これは訳されるのが楽しみだぞ」と身を乗り出したほどだ。

 そしてショートプログラムの記者会見、共同取材、全てを終えた後。

 「明日もここ(記者会見場)に来まーす!」

 と、メダル獲得をさらりと宣言。去っていく細い背中に向けて「おおっ!」という歓声がふった。

 また、フリー終了後の記者会見。ショート3位、フリー2位、総合2位という結果に対して。

 「今回は、ショートでもフリーでも、1位という数字を出せずに終わってしまった。このことが、一番悔しいです。今度この舞台で滑るときは、ショートとフリー、両方で1位になれるように! あと1年ちょっとしか時間はないけれど、力をつけて戻ってきたいです」

 と、来たるソチ五輪での優勝を、世界中のメディアに向けて宣言。高橋、チャンを前にしたあまりにも潔い宣戦布告に、今度は一同、絶句するほかなかった。

 かと思えば、復活が噂される元五輪王者エフゲニー・プルシェンコ(ロシア)について聞かれると、一気に相好を崩してこう答えるのだ。

 「プルシェンコ選手は、僕がスケートを始めて、一番最初に好きになったスケーターです。ビールマンスピンに挑戦したのも、彼がやってるものを僕もやりたいな、と思ったから。ほんとに大好きな選手ですから、早く一緒に試合で滑りたいな、とも思うし、すごく怖いな、一緒に滑りたくないな、って気持ちもある。なんだかこうやって……記者会見でプルシェンコのことを話してる自分が、すごく不思議ですね(笑)。でも、もしソチまでに彼が戻ってくるとしたら、ひとりのスケーターとして、彼の敵として戦えるくらい、しっかり力をつけたいと思います」

 強気強気の発言が続いた後。声色も、照れたような表情も、それまでの質問への答えとは、まったく違っていた。18歳の少年らしく、ストレートに憧れの選手への尊敬を表した言葉には、微塵も嘘がなく、居並ぶ大人たちの心をぐっと掴んでしまう。質問の流れは偶発的だっとはいえ、なんとよくできた’場外結弦劇場’だろう。

 「いいね、ユヅル。僕らにとっては、通り一遍の答えだけの選手はいらない。あのくらい個性的な発言ができる選手の方が面白いよ」とは、北米メディアの反応。

 「まだ若いんだし、いいんじゃないかな。何といっても彼は、結果を出してるんだから!」とは、日本メディアの反応。

 オリンピックイヤー直前。羽生結弦は、氷の上でも、氷を降りても、いつでも話題の中心に立つスケーターとなってしまった。

 彼のこんな「強気発言」について、シーズン前に聞いてみたことがあった。あなたの言葉は面白いから、言ったことは全部活字になるだろうし、テレビでもあますところなく流れて行くよ。大丈夫なの? と。

 そのとき彼は「かまいません、全部書いてください」と言い切ったのだ。

 「自分の思ったことを皆さんに率直に話すこと……僕は、大事なことだと思っています。僕がメディアにこういう発言をすれば、見る人の目も変わりますよね。ダメなところを見せたら、『羽生、あんなこと言ってたくせに』って言われてしまう。そのぶん、嫌でもがんばらなきゃいけなくなります。また自分の言ったことを放送で見たり、記事で読んだりすれば、その時の気持ちを、僕自身もまた思い出せる。『確かに僕はこんなことを思ってたな』って。だから大丈夫です。全部書いてください」

 ライバルへの挑発も、怖いもの知らずの勝利宣言も、若さの勢いのまま口にしているのでは、ない。言ったからには、全部自分で引き受ける、全部実現して見せる――すべては、その覚悟の末の言葉なのだ。(つづく)

  • 最終更新:2017-11-27 23:12:10

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