夢のかなたに14

【ルポ 羽生結弦 夢のかなたに (14)】 四大陸選手権リポート(上)
――ショートプログラムの「仕掛け」
2013年02月16日


 「ショートプログラムには、ずいぶん助けられているよ」

 そう苦笑いしたのは、全日本選手権後のブライアン・オーサーコーチだ。

 これまでの5戦中、3戦でショートプログラム首位に立ち、フリーでミスがあってもそのまま逃げ切る試合が多かった。何よりもインパクトが大きかったのは、スケートアメリカ、NHK杯と、2戦連続で叩きだした世界最高得点だろう。

 「あれは嬉しかったよ。僕も信じられないくらい興奮した!」

 手放しで喜ぶのは、振り付けを担当したジェフリー・バトルだ。新進気鋭の振付師であるバトルの作品がいかに優れていて、羽生結弦の個性にいかに巧くマッチしたかは、本連載5回目でもふれている。

 「僕のところにも、たくさんのおめでとうメールが来ていたよ。みんなが、『ユヅルのショートはすごかった』、って書いてきてくれて! 僕だって、彼の世界最高得点を、自分の手柄にしたかった(笑)。でもあれは、僕が彼にアドバイスしたことに対して、ユヅル自身が取り組んだ結果だ。彼が自分の個性をあそこまで氷の上で表現できなかったら、『パリの散歩道』はあんなに面白いものにはなかっただろう。彼みたいには、なかなかできない。僕は彼が誇らしいよ!」(バトル)

 元世界チャンピオンも手放しで賞賛する、今シーズンのショートプログラム。四大陸選手権では3つ目のジャンプ、3回転ルッツ-3回転トウで失敗したにもかかわらず、十分見応えのある滑りを披露してくれた。

 「ショートプログラムに、不安はないです。でも全日本の時点では、まだジャンプが跳べた、ってだけでした。今回は表情も気を配って作って、音楽の雰囲気も大事にして、とにかく全てに集中して行きたい」(羽生、四大陸選手権前のコメント)

 彼の大事にしたいという、「音楽の雰囲気」。これを彩るいくつもの仕掛けが、今年のショートプログラムにはある。

 まずはジャンプに入る前の複雑なステップ。特にトリプルアクセルを跳ぶ寸前の複雑なターンの連続などは、「難しいジャンプのテイクオフ」として加点対象になるだけでなく、見る人の目にも楽しく、プログラムのよいアクセサリーになっている。考案したのは、振付師バトルだ。

 「そう、彼のジャンプは素晴らしい。生まれつきのジャンプの才能があるんだから、これは生かさなくちゃと思ったんだ。特に一本足にのっかったトリプルアクセル! 選手時代の僕には到底できなかった技だよ。僕だって、できるならやって見せたかったのに(笑)。最初、そんな難しい跳び方全部ができなくてもいい、ひとつでも入れられればな、と思ったんだ。ところが彼は、全てを試して全部できるようになっちゃった! もう、やらない手はないよね(笑)。多くの選手は、一回試してできなかったらあきらめるのに、彼はがんばって全部できるようなってしまうんだから……だから彼のジャンプは、難しい跳び方だらけになっちゃった(笑)」(バトル)

 ジャンプをはじめスピンやステップなど、採点対象となるエレメンツ(要素)には、すべてに様々な工夫が織り込まれた。さらに直接加点対象とならないつなぎのパートにも、印象的な動きがたくさん散りばめられている。


NHK杯のエキシビションで

 四大陸選手権でも大きな喝采を浴びた、腰を低くして右足を折り、左足は延ばしてかかとで滑る動作。ここで彼が両手をまっすぐ前に突き出して客席にアピールする様は、ちょっと小癪(こしゃく)な彼のキャラクターによく合っていて、盛り上がりどころのひとつだ。この動き、「イナ・バウアー」のような呼び名がついていてもよさそうだが……。

 「そう、あれをなんて言うのか、僕も知らないんですよ。ジェフに聞いといてくださいよ!」(羽生)

 「僕も知らないよ(笑)。ある日ユヅルといろいろな動きを試していたら、ふたりともリンクのはじのほうまで来てしまった。じゃあ、ここから観客席に向かって何かしようか、ってことになったんだ。観客席の一番見やすい位置にいるのはジャッジだから、彼らをからかうような動きにしようか、と。もう、ほとんどエキシビションみたいな動きになったよね(笑)。作っていても楽しかった。ただ印象的なだけでなく、動きながらターンなども入れていて、『難しいことをやってますよ』とジャッジにもアピールできる動き、そんなものができたんだ」(バトル)

 作られた時から様々に用意されていた、魅力的なプログラムになるための仕掛け。それが、振りつけられて半年たった今、こなれた動きで見せられるようになったのだろう。

 それだけではなく興味深いのは、2分50秒の間の彼の気持ちの乗り方が、3カ月前のNHK杯とはまったく違っていたことだ。

 「今回、四大陸のショートは楽しかったです。プログラムの最初からルッツの前まで、とにかくすっごく楽しく滑れた! ルッツでパンクしたときだけ、『あ、やっべえ!』と、一瞬思って(笑)。でも最後のジャンプが終わったら、また楽しくなって! 最後のステップまで、すごく気持ちよく滑らせてもらいました」

 これが、NHK杯の時はどうだったか。

 「最初の4回転を降りて、トリプルアクセルも降りて。3つ目の3回転ルッツ-3回転トウを決めるまでは、すごく動きが堅かったと思います。ルッツ-トウは、僕にとっていちばんの鬼門ですからね。でもルッツが決まった後は、もうこける心配もないし(笑)、気持ちがすごく楽になって……。会場のお客さんも乗ってくれたし、楽しんで滑りました!」(NHK杯SP後のコメント)

 ジャンプがパーフェクトだったNHK杯と、ひとつミスがあった四大陸選手権。しかし会場をより沸かせることができたのは、今大会の方だった。

 3つのジャンプが決まるまではドキドキで、プログラムを見せる余裕などない――これは、ごく普通のスケーターが、ショートプログラムで感じる心情だ。18歳にしては観る人に訴えかけられる羽生であっても、それは同じ。感情をめいっぱい表現しているように見えても、頭の中はジャンプ、ジャンプ、ジャンプ……そんな話は、グランプリファイナルリポートの時にもした。NHK杯の時点では、史上最高得点を更新しながらも、やはりジャンプにとらわれながらの演技だったのだ。

 それが今回は、まるきり違う。ジャンプのことなどほぼ忘れて、彼自身がプログラムを楽しみきることができたという。NHK杯からわずか2カ月半で、彼の表現姿勢に、何が起きたのだろうか?

 世界最高得点まで出している、ほぼ完成された「パリの散歩道」。この曲でさらに成長を見せるために、何ができるか――? その試みは、実は1月のアイスショーでも見せてくれていた。お正月の華やかさの中でおこなわれたエキシビションマッチ、「ジャパン・スーパーチャレンジ」。

 ショーナンバーを滑るはずのこの場所で、羽生は珍しくショートプログラムを滑ったのだが、このときは4回転、トリプルアクセル、3回転-3回転とすべてのジャンプを失敗。新年早々、前代未聞の大ポカをやらかしていたのだ。

 「いやあ、久々にやってしまいましたね。せっかく見に来て下さった皆さんには、すみません……」(ジャパン・スーパーチャレンジでのコメント)

 全日本が終わった直後、まだ疲れも抜けていない状態。さすがの羽生も緊張感を切らしたのだろうか、と人々は首をかしげた。また、「羽生といえども世界選手権でこれをやったら、フリーに進めるかどうかもあやしい。こんなことでは、男子の五輪出場枠も危ないぞ」などと、眉をひそめる人もいた。しかし人々がいぶかしむなか、羽生はしれっと言ってのけたのだ。

 「今回は『ジャンプも音楽に合わせて跳ぶ』ってことに、挑戦してみたんです。それができてる選手といえば、高橋大輔選手ですね。そんなジャンプを試してみたら、全部失敗しちゃって……。でも僕のショートプログラムも、もう少し伸びしろがあるような気がしたから」

 なるほど、そういうことだったのか。いくら疲れているとはいえ、ジャンプで鳴らす羽生が全ミスとはおかしすぎる。大きな勝負もかかっていないこの試合、ショートプログラムをさらに磨くための模索の場にしていたのだ。

 「ジャンプでも表現をする――それが、今回の四大陸でも挑戦してみたことです。どのジャンプも、曲の雰囲気に自分の跳躍を乗せて、より余韻を持ったジャンプに見えるようにした。ルッツ-トウの失敗は、その集中がちょっと散漫になってしまったんですね」(四大陸SP後のコメント)

 ショートプログラムに限っていえば、羽生結弦には余裕がある。最大限の得点を稼げるジャンプにほぼ心配がない今、より見せるプログラムにするために、意識まで変えて。

 シーズン1戦目のころと現在での変化、プログラムの成長ぶりを見て、バトルもこんなふうに語っている。

 「今、まさに成長過程にいる選手に特有の変化だね。彼はジャンプ技術などを習得するだけでなく、芸術面でも様々な点で、より理解を深めているところなんだ。だからプログラムも、日々進化していける。

 ひとつ例をあげれば、若いときは動きが多いことや、シャープな動作をすることが芸術的だと思うんだよ。しかし年齢が上がり、心が成熟するにつれ、微妙な動きの持つパワーを実感していくんだ。インパクトを与えるために、大仰な動きをする必要はない。ユヅルも、そのことを知るのに長くはかからなかったようだね。デイビッドも僕も、いつも『less is more(過ぎたるは及ばざるがごとし)』と言ってきたからかな(笑)。

 そんな種類の成熟を、彼が『パリの散歩道』でいくつも達成しつつある……ほんとうにすばらしいことだよ」

 緻密に用意された仕掛け、彼の個性に合ったプログラムそのものの魅力。それに頼るだけでなく、羽生結弦自身の、表現への向き合い方の変化。全てが揃った「パリの散歩道」は、本当の意味で進化するプログラムになった。

 今回は残念ながらコンビネーションジャンプにミスがあったが、次の試合でパーフェクトに滑ったときが、また楽しみだ。技術は世界最高点を出した時と同じくパーフェクト、そこに表現する余裕が加われば、間違いなく3度目のワールドレコード更新があるだろう。そしてそれは世界選手権で大きな栄光をつかむ、そのための大きな後押しになるはずだ。

 四大陸選手権ショートプログラム。まずは、「さすが全日本チャンピオン!」と手放しで讃えていいだろう。ショートプログラムまでは。(つづく)

  • 最終更新:2017-11-27 23:22:59

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