ソチオリンピック3

【ソチオリンピック リポート】 羽生結弦を中心に始まった「4回転時代」への新たな挑戦

2014年02月18日

 ソチ五輪での、男子シングルフリー。試合としては上位ふたりを筆頭にミスが多く、他にも4回転を転倒する者が相次ぎ、試合としては盛り上がりに欠けるものだった……という意見も多い。確かに今回の男子シングル、思い返せばショートプログラムからミスの目立つ試合、特に4回転の転倒はいつも以上に目にすることが多い一戦となってしまった。

 オリンピックという4年に一度の場だからこそ、パーフェクト演技続出! という壮絶な展開が見たかった……というのは、正直なところ。

 試合の開始時間が遅かったためではないか、とか、リンクの氷の質が通常と違っていたのではないか、とか、ミス続きの理由を探す動きも見られたが、筆者はひたすら、男子シングルの競技性そのものに起因するのではないか、と思う。


 考えてみてほしい。4回転を跳んで、その他の要素ももれなくレベル4が求められ、プログラム構成点で演技力や滑りこなしも細かくチェックされる……そんなオリンピックは、実は初めてなのだ。

 4年前はチャンピオンが4回転に挑戦しなかったことで話題になったし、8年前はまだ新採点方式がスタートしたばかりで、システムが成熟していなかった。今ほどジャンプも跳べてステップ、スピンも最上級、パフォーマンスで観衆を引き込み……そのすべてを求められる時代は、かつてなかったのである。

 それでもこれまで、グランプリシリーズや四大陸選手権、世界選手権ならば、この複雑な要素のすべてを満たした、完璧に近い演技を何度か見ることができた。今シーズンでいえばグランプリシリーズ・エリック杯でのパトリック・チャン(カナダ)、NHK杯での高橋大輔、スケートアメリカでの町田樹のそれぞれのフリーは、オリンピックでもう一度見たかった……そんな演技だろう。

 しかしすべての要素にハイレベルを求められることにプラス、オリンピックという場の尋常でない緊張感が加わると、ミスの少ないはずのトップスケーターでもこうなってしまう……それが、ソチオリンピックだった。

 新採点システム、かつ4回転時代の過酷さ――これは、女子シングルと比べてみてもよくわかる。

 女子は現在、4回転やトリプルアクセルを跳ぶ選手はほとんどなく、3回転‐3回転がジャンプの主流。どの選手も精度の高いジャンプだけでプログラムを構成しているため、勢いミスのない演技が続きやすい。

 良い例として、今季の全日本選手権を思い出してみよう。男子の試合もすごかったけれど、やっぱりミスは多かったね、それに比べると女子はさすがに強い、みんなノーミスじゃないか――などという声があがったが、それは男子に酷というもの。男子も女子も同じくらいの緊張感のなかで、決死の戦いをした。しかし女子の方がパーフェクトの出やすいジャンプ構成だった、というだけだ。オリンピックでも女子シングルでは、3回転‐3回転を確実にこなすクリーンなプログラムをたくさん見られることだろう。

 では、バンクーバーからソチへの4年間に激化した、4回転競争。この流れには、歯止めがかかるだろうか。男子も少しは大技を回避し、安定した美を求める傾向に行くのだろうか? 否、だと筆者は考える。なぜならこの4回転時代は、誰あろう、選手たち自身が選んだものだからだ。

 今でもくっきりと耳に残っているのは、ちょうど4年前の小塚崇彦の言葉。バンクーバー五輪のフリーを終えた数日後、現地のジャパンハウスで応えてくれたインタビューでの、こんな言葉だ。

 「4回転を跳ばないでエヴァン(・ライサチェク、アメリカ)がチャンピオンになったけれど……僕はここから、逆に4回転時代が始まる、と思っています。選手たちから、既にそういう空気を感じるんです。試合後、エイトリンクス(バンクーバー五輪の練習リンク)で滑っていても、みんなが競うようにバンバン4回転を跳んでる。本番で跳ばなかった選手たちまでね。あのジョニー(・ウィアー、アメリカ)まで、何度も何度も跳んで見せてるんですよ!」

 そこから小塚の予言通りに始まった、4回転時代。選手たちは無言のうちに、4回転を跳ばずにオリンピックチャンピオンになる、そのことを否定したのだ。男のフィギュアスケート、そのチャンピオンには4回転が必要――それは、彼ら自身が選んだことだ。

 その結果、上位選手は2度、3度の4回転にトライすることになったソチオリンピック。ほとんどの選手が目指していたジャンプを完璧には跳べなかった今大会。彼らの中で1位、2位、3位と順位はついたものの、彼らはこぞって、自らが選んだ男子シングルの競技性に敗れた。羽生も、チャンも、町田も、悔しいだろう。このまま、負けたままでは終われないはずだ。

 幸いにしてオリンピックチャンピオンとなった男は、19歳。ここから先、ピョンチャン五輪へ、その先へとチャレンジを続けていける年齢だ。この男を中心にして、彼らはこの先も、4回転+新採点システムに挑み続けていく。

 ソチ五輪は、選手たちと競技性との戦いが、真の意味で始まった大会、と言っていいだろう。4年後には、4回転もインクルードされた完璧な演技が何度も何度も見られる――そんな、「選手たちの勝利」が見られるだろうか?



【ソチオリンピック リポート】 羽生結弦を待ち受ける過酷な道。それを乗り越えるのは彼のクレバーな視点と思慮の深さだ

2014年02月19日

 とにもかくにも、史上稀に見る、10代のオリンピックチャンピオン誕生である。

 10代のチャンピオンはディック・バットン以来66年ぶり、とのことだが、バットンは今から10年ほど前まで、アメリカのテレビ放送で辛口解説者としてならしていたおじさんである。あまりに好き勝手にきついことを言うので、「なんなの、このおじさん?」「なんだか実は、すごい人らしいよ……」という会話が何度となく繰り返されていた、あの、ディック・バットン! 

 もちろん滑る姿など、見たことはない。そんな人物以来の10代チャンピオンとは……彼のなしとげたことの大きさが、よくわかるというものだ。

 しかしここからが羽生結弦にとって、茨の道だ。彼自身が一番驚き、一番悔しがっているだろう、今回の勝ち方。チャンピオンらしい演技での勝利でなかったことは、彼自身が一番よく知っているだろうし、この先何をしなければならないかも、よくわかっているだろう。


 次の世界選手権で、あるいは4年後のピョンチャン五輪で、チャンピオンにふさわしい演技を見せること。ほかの誰かではなく、ソチでの彼自身の演技を、超えて見せることだ。

 こうなってくると、他者に勝つことよりももっともっと難しいことが、彼自身には課せられてしまったかもしれない。

 前稿(「羽生結弦を中心に始まった『4回転時代』への新たな挑戦」)に詳述した通り、現在の男子フィギュアスケートは、あまりにも高難度なエレメンツの数々と、他の芸術と並んでも見劣りしないほどのパフォーマンスの両方を求められる、ちょっとありえないスポーツになってしまった。

 それでも彼らはアスリートである以上、目指さなければならない。自分たちの作ったこのスポーツの求めるもの、たどりつかなければならない場所はある。その先陣を切るべきポジションに立ったのが、羽生結弦だ。

 彼に、そんなことができるのか? もちろん、大丈夫だ! 今回の金メダルはうれしいだろうが、「これで俺は五輪チャンピオン!」と過信することなど、彼ならばないだろうから。

 2012年の秋、スケートアメリカのショートプログラムで、初めて史上最高得点を更新した後。彼に聞いたこんな言葉を思い返してみたい。

 「ここから先、僕が22、23歳くらいになったころ――自分がみんなを引っ張っていけるような選手になれたら、うれしいですよね! 
 そんな存在だったのが、パトリック(・チャン)選手であり、(エフゲニー・)プルシェンコ選手です。彼らはあまりにも強くて、ひとりでタイトルを総なめにする状況を作ってしまった。誰も彼には勝てない、そんな口惜しさが、世界中の男子みんなに芽生えた。みんなが、プルシェンコを負かそう、パトリックを負かそう……そう思って、すっごくうまくなって、時代は変わっていったんです。
 時代を変えていくような選手は、必ずいます。だから自分は、そんな存在になりたい。パトリック選手がいても高橋(大輔)選手がいても文句がないくらい、しっかりトップにふさわしい選手になりたいんです」

 また同じころ、早くもソチ後の男子シングルのことを、こんなふうに予想もしてくれている。

 「そのころ……すっごい時代が来てると思うんですよ。なぜなら僕と同世代には、まだジュニアだけれど上手な選手がたくさんいるんです。ダンスもうまくて、彼らはまだ4回転が跳べないので出てきていないけれど、彼らがジャンプを跳ぶようになったら、今、トップにいる俺たちは勝てないかもしれない。
 これからそんな彼ら、僕と同世代の選手たちがしっかり力をつけて、上に上がってきたとき。僕一人で走っているこの状態ではなく、しっかりみんなと並走して走れるようになった時――4回転の進化も含め、また新たな時代が来るんじゃないかな?」

 ソチで共に戦ったプルシェンコ、チャンらの功績をきちんと理解し、彼らの役割を受け継ぎたい、と願っている。時代を見据える目を早くも持ち、ここから先の戦いの厳しさも、自分のなすべきことも知っている――。

 ただの強いアスリートでは、ない。クレバーな視点と思慮の深さを持っているのが、日本の生んだオリンピックチャンピオン、羽生結弦だ。彼にならばここから先の時代、安心して託していいだろう。

 しかし――ほんとうに彼は、オリンピックで勝ってしまったのだ。

 「オリンピックチャンピオン! ユヅル・ハニュウ!」

 そんなコールが場内に響いた時、なんか信じられない思いで、笑ってしまいたくなった。ほんとうに、ほんとうに結弦君が、オリンピックチャンピオンですか! と。

 そしてこの瞬間から、オリンピックパークで、ソチの街で、海外の人々と話をするともれなく、

 「日本から来たの? コングラッチュレーション、ハニュー!」と声をかけられる。

 「彼は、何と言ったらいいのかしら……本当に素敵だったわ!」と女性たちはうっとりと思い出してくれるし、「グレートなチャンピオンだ!」とむくつけき男性たちも親指を立てて讃えてくれる。

 あのキノコ頭の結弦君が、遠いソチの町で、日本人でよかった! と何度も思わせてくれるとは。こんなに私たちを、誇らしい気分にさせてくれるとは!

 キノコ頭で思い出すのは、6年前。初めて彼に一対一でインタビューをしたとき、将来の目標を聞いたときの、その答えだ。

 「オリンピック、1位です!」

 金メダルでもなく、優勝でもなく、チャンピオンでもなく、「いちいです!」がかわいらしいな、と、ただその時は思った。それ以外は、これまでたくさんの少年の口から聞いてきたものと、何ら変わらない言葉だ。しかしその少年の夢がほんとうにかなう瞬間を、思えば今回、初めて見せてもらったのだ。

 フラワーセレモニー、メダルセレモニーと進むにつれ、ついに日本男子はオリンピックチャンピオンの座にたどり着いたのだなあ、としみじみ感じた。フラワーセレモニーでの彼は、称えるお客さんに向かって深々とお辞儀をし、リンクサイドで待っていたブライアン・オーサーコーチにも同じく、深く深く頭を下げ、日本人らしい姿でたくさんの人に感謝の気持ちを告げた。

 感謝の気持ち――シーズン前、彼に精神的な強さの秘密を聞くと、「皆さんの応援に応えようとする気持ち」と答えてくれたことがある。

 「スケートなんて、自分一人では絶対にできないスポーツです。でもこんな僕のために、家族をはじめたくさんの皆さんが、僕のスケートを支えてくれている、応援してくれている――もちろんその支えが、プレッシャーになることはありますよ。でもまずは重く考えないで、みんなの支えと期待は、受け入れる。感謝する。そして『もっとがんばらなきゃな!』って思える。それが、もし僕にあるとしたら、強さの一部になっているのかな」

 感謝――その日本人らしい礼節でプレッシャーをはねのけ、掴んだ勝利。彼の深々としたお辞儀を見て、そんなことを思った。

 ここから先の、彼の道のりは厳しい。66年間誰も与えられなかった十字架を彼は背負い、誰も歩まなかった過酷な道を、彼は歩まなければならない。

 でも今はただ、おめでとう、と言おう。いろいろあったけれど、やっぱり羽生結弦は、誰よりも強かった。ここから先のあなたの4年間を、ほんとうに楽しみにしている。

  • 最終更新:2017-11-27 23:55:23

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